例によって小屋番は起きていないので自分で湯を沸かしてコーヒーを飲む ことにしよう。やっぱり甘みが欲しくなり厨房を家捜しして砂糖ポットを調達、 ザックザック砂糖を落として飲んだ。ニッポンに帰ってからこの飲み方を試した けれど飲めたもんじゃなかった。
さて、今日は頂上(ではないけれど最標高点)アタックだ。ディーパックはいつも 朝飯を食べないのでぎりぎりまで寝ている。7時にヒマラヤ・ホテルを出発。
このあたりの森林限界は3000m弱といわれていたのだが、なるほどいつの間にか
立木が少なくなり灌木が多くなってきた。それとともに段々トレイルが雪に覆われてくる。
しかしまだ歩くのに支障はない。
40分ほどで大きな一枚岩の隙間にできた洞穴ヒンクーケイブに到着。
ここはビバークに最適。上の小屋デウラリ、下のヒマラヤとどちらも
1時間もかからない場所であるが悪天候に見舞われたときはしばしば利用されるらしい。
暑くなったのでここでフリースを脱いで歩く。ヒマラヤを出て1時間もしないうちに デウラリに到着。昨晩ここにとまった6人、3人、2人のパーティーが出発準備をしている ところだった。特に6人のパーティーはガイドがついていないけど大丈夫かなぁ。 こちらはまだ歩きはじめて1時間も経っていなかったがここでお茶休憩にする。 例のネパール茶(ミルク、砂糖ザックザク)だ。ところでたかじろうが2日目以降に 担いでいるディーパックのザックであるがその中身はささやかな着替えとおやつ(リッツの ような塩味のと甘いクッキーと2種類)の包みとみかんが山のように入っていたのだ。 このおやつはお茶休憩の度に出てくるので山小屋で補給しているのかと思いきや 最初っから全部担いできてたらしい。一日2、3パック食べるとして1ダース以上も 持ってきてたのか! 日に日に軽くなるザック・・・
じっとしているとさすがに寒くなってきたのでディーパックを促し歩きだす。さっきの
パーティーは10分ほど先行しているはずだ。あっ、居た居た!雪に覆われていない
たくさんの大きな岩が剥き出しになっているところで立ち往生しているようだ。
ここらあたりは岩場のためにトレイル(踏み後)を見つけにくい。雪で滑りやすいからと
足元ばかり見て歩くと後で引き返さねばならない羽目に陥りやすい。ここはルート
ファインディングのコツが要る。おまけに沢を横切る地形なので渡りやすい地点を
予め見当をつけておかなければならない。
岩場を越えて30分も歩くと先行するパーティーをすべて追い越してトップに就いていた。
ここらあたりから段々雪が深くなってきけど、トップといってもラッセルするわけじゃ
ないし踏み後もある程度残っているのでそれほどたいへんでもない。それよりも右の
谷側に踏み外さないようにしなければ・・・。左は壁、右は谷の川までスロープが伸びている。
右手がアイスバーンなら、滑落すれば直滑降コース(今の時期ならまだ大丈夫)、なんて
ことを考えながら雪を踏む。 あれれ!? だんだん雪が深くなってきたようだ。
山靴が完全に雪に埋まるようになってきた。デウラリを出て1時間近くになるのでそろそろ
M.B.Cが見えてくる頃ではなかろうか・・・ おおっ、あの右に見えるのがM.B.Cの
屋根だね。しかし、見えてからがまた遠い。 あっ! あれは人影ではあるまいか?
最初は4人、少しあとからまた4人、そのあとにふたり・・・ すれ違い際に挨拶すると
ニッポン人トレッカーとネパール人ガイドであった。
この時刻(10時少し前)に降りて
くるということはA.B.C.に泊まったということになる。(デウラリでM.B.C.が
閉鎖されていることは聞いていた) 登り道が優先なものだから雪で足元が不安なところ
を避けて離合しやすい場所で我々の通過をわざわざ道を空けて待ってくれている。
それはそれで有り難いのだけれど見上げるとそういう連中がずっと上の方まで繋がって
いる。一気に行くのも辛そうだが、これを全部通過させるのもこちらのペースが乱され
そうなのでどんどん歩くことにした。おおっ、皆さんかなりなシルバー(歳いってる)
トレッカーである。口々に”がんばってー”、”もうすぐM.B.C.よーっ”なんて
励ましてくれるばあさんたち(お世辞の言いようもなく”ばあさん”であった)の側を
抜ける。”あれっ、なんかへんだなぁ”と、妙な違和感がある。何が変なのかは良く分から
なかったがとにかく歩く。やっと全部パスしたかなと思っていると更に後方から大きな
山のような荷を背負った一団が下りてくる。やっとわかった、さっきの連中ってば誰ひとり
としてザックを背負ってなかったぞ。”そーかー、あれが噂に聞く大名トレッキングかぁ”
と、ひとり納得する。ニッポン人トレッカー20人ほど、あとはネパール人ガイドが
5、6人くらいかなぁ。あとは7、8人のポーターが続く。大名様は荷を担ぐことなく
ただ歩くだけ。ポーター、コックを引き連れて上膳据膳、おんぶにだっこに肩車という
ゴーカ(まぁ、価値観ももんだいではあるけれど)ツアーなのだ。でもカメラまでガイドに
持たせてたばあさんいたなぁ。それにしてもカメラも自分で持たんカラ荷の下山者に
頑張れなんぞ言われとないなぁ。などと憤慨していたらあっという間にM.B.C.に到着。
M.B.C.は閉まっているのでしばしのこの場で小休止ののち、いよいよA.B.C.
目指して最後の一本を登りはじめる。ここからは今まで沿ってきた谷筋から左(西)に折れて歩く。
昨日の朝、チョムロン村から見たアンナプルナ・サウス、ヒンチュリの
裏側を歩いていることになる。ここから見るマチャプチャレも麓から見える姿の左側側
から見ていることになる。今までマチャプチャレに隠れて見えなかった峰々が拝める。
ディーパックが歩きながらあれがアンナプルナV、あの山ががガンガプルナその奥に
ピークだけ見えるのがシンガ・チュリという具合に説明してくれているのだけれど
こっちはそれどころじゃない。もう4000m近い筈だ。
トレイル自体はちっとも厳しい登りではないのだけれど足を送るピッチが明らかに
落ちている。高々度の影響が出ているらしい。
物事を考えるのがすごく億劫になってきた。なんだか水中での窒素酔いみたいだ。
3歩歩いては一休み、また2歩歩いて水を舐める。その繰り返し・・・
そういえばさっきから水ばかり飲んでいる。いつもはザックに括りっぱなしの水ボトルを 今日はずっと持ち歩いていたもんなぁ。気温が低くてただでさえ空気中の水蒸気量が 少ないのに高々度で気圧が低いので水蒸気分圧がどんどん下がる。がぶ飲みすると 体がもたないので少しずつ少しずつ舐めるように水分補給する。
それにしても顔が痛い。ただでさえ照り返しで陽を浴びているのに空気が薄い 紫外線が強い。まだ10時を過ぎたばかりなのにもう1日じゅうウロウロしていたように 日焼けしている。A.B.C.はまだか・・・ 下にあるはずのM.B.C.は斜面の 翳でもう見えなくなってしまった。雪が深くなり脛まで確実に埋まるようになった。 たいした深さでないと思っていた雪も大変脚(特に大腿部)に負担がくるのが判った。 そのとき、後に付くディーパックが山小屋が見えると教えてくれる。おおっ、あれが A.B.C.なのか! しかしまだ遥か遠く(ずっと上)に見える気がする。 (気がするのではなく実際に遠かった。)ディーパックの励ましにもだだ肯くことしか できない。黙々と歩を進める。あっ、小屋で誰かが手を振るのが見える。でもこちらは 手を挙げて応えるのが精一杯。今朝デウラリを過ぎた頃、A.B.C.に到着したらまず サンミゲールを呑もうと楽しみにしていたけれど、今この状態で呑んだらきっと死ぬなぁ と重いながら歩く・・・
小屋が見え始めてから15分、たかじろうは遂にA.B.C、4190mに到達した。
(BGMは”COOL RUNNINGS”の凱旋シーンの曲、もしくは”RUDY”の
ウイニング・ランのシーンの曲でお願いします)
時に1998年、1月1日。午前11時10分(日本時間午後1時25分)であった。
もともとは今日はここA.B.C.に泊り明日一気にチョムロンまで戻る計画だった
けれど、雲の出方と動きについて小屋番と相談していたディーパックはここに泊まらずに
明るいうちに戻ろうと決めたようだ。
ここ5、6日ずっと天気が良かったので周期で考えるとそろそろ崩れそうだし、
もし悪天候で停滞すればカトマンズに戻るのがぎりぎり
になってしまう恐れがあり、ヘタうちゃニッポンに帰れなくかもしれないのだ。
たいへん残念な気もするけれど取り敢えず当初の目的は達成できたのだからここから先は
お釣りのようなものだと考えねばなるまい。
早目の昼メシを食べ、ディーパックに小屋の背後にある氷河まで連れていってもらった。
氷河の上に立ちたかったけれどディーパックに一蹴(要はは馬鹿扱い)されてしまった。
氷河は大きな一枚氷でなく谷の地形により様々に砕け、ヒビ割れるながら流れる。
それらの塊はあるものは再度くっつき、またあるものはクレバスとなり日々変化する。
雪に覆われた上からではその下の状態が窺い知れないので獣でもめったに渡らないと
いうこどだ。こんなところで人柱になるのはいやなので写真だけで我慢した。
ここA.B.Cからはヒンチュリ、アンナプルナ・サウス、バラ・シカール、
シンガ・チュリ、ガンガプルナ、アンナプルナV、ガンドラ・チュリ、マチャプチャレが見渡せる。
麓から見ることができない峰もある。(写真に収めたのだが後日見てみるとどの山だか判別不能な写真がある)
わずか90分の滞在ではあったが下ることにした。デウラリまで戻る予定。
下りは楽だ・・・ と、最初は思った。しかし未経験の高度と雪が行く手を阻む。
(実際には阻まれてなぞなく単に体力的な資質の問題である)埋もれた足を上げる
ことが億劫になるものだからよく雪に蹴っつまずく。何度も転びそうになった。
トンデモ強団最強の下山家たかじろうとしてはこんなとこで汚点を残すわけにはいかない
と使命の炎をメラメラと燃やす。しかしホントは自分自身が朽ち果てて山の汚点となる寸前
であったのは言うまでもない。見通しのきく斜面ではザックに跨り滑り下りる。
これはよい作戦だと思ったが午後のゆるんだ状態の雪面ではザックが埋もれてしまい
転倒が多くなり却って歩いた法が早かったりする。
しかしそうこうするうちに確実に高度が下がっていくので呼吸が段々楽になり
ディーパックと冗談を言い合う余裕も出てくる。本日の宿泊地デウラリまで戻ってきたのは
午後2時半であった。まだ陽も高く天気も良いのでシャワーをあびたい気もするけど周りは
雪、チョムロン村より高標高だし雪解け水交じりなのでの水が更に冷たい。でもあたまだけ
でも洗いたいので意を決してシャワー室へ。
やっぱり冷たい、止めとけば良かった。(この辺ちっとも学習効果がないようである)
いや、冷たいなんてもんじゃない、膝や足首といった節々が痛い。水を掛けただけで感覚が
麻痺して関節に激痛が走り立っていられなくなる。
やっぱり駄目だぁ。あきらめて体を拭いてシャワー室を出た。
あっ、あたま洗うの忘れたっ、何しに行ったんやぁ、まったく。
ということで、テラスで陽を浴びながらサン・ミゲールをやる。ここまで下りて来ると
もうサウスもVも拝めない。でも、まぁここまで好天に恵まれればよしとせねばバチが当る。
今日は雪上活動だったので日焼けで顔が痛い。ほんの半日程だったのだけど希薄な
空気中では紫外線の影響が強いのだ。陽が傾くとさすがに野外では寒い。早々と食堂に
入る。そこではテーブルの縁を毛布で囲みその中でガソリン・バーナーを炊く巨大な炬燵がある。
唯一の暖房がこれである。毛布の内側は今日の山行で濡れた靴や靴下を乾かすには
ナイスは環境である。ほかに客が少なかったので炬燵内部は物干し状態と化してしまった。
これで明日の朝は快適だ・・・
念願のA.B.C到達をネパール・ラム(ちっとも旨くない)で祝していると、あっと いう間に寝てしまったらしい。恐らく8時にもなっていなかったはずだ。 こうしてたかじろうの新年第一日は終わった。