(7)山へく

12月30日(金)

天気は上々

朝5時30分、ポカラのバスターミナル着。寒い。ザックを背負い山靴をぶら下げた サンダル履きの怪しいたかじろうはついにポカラの地に降り立った。辺りはまだ暗い。
タクシードライバーが寄ってくる。 ガイドであるディーパックと待ち合わせを しているホテル名を告げると”あそこは高級で高いからおれがもっと安いところへ 連れてってやる。” また、始まった。タクシーに限らずリクショーやバイクの運転手 のみならず用もないのにバスターミナルに屯している連中のほとんどは何らかの客引きを して小銭(日銭かも)を稼ごうとしている輩である。
どこの国にもこんなドライバーが いて紹介料をホテルからせしめる(その金はホテル側から我々に上乗せ請求される)。 もっとすごいことにこの国のタクシードライバー(特にメーター式でないやつ)の ほとんどホテル経営一家の血縁であるようだ。 だから、たかじろうのようなフリの客は強引に自分の宿に連れていこうと手を変え品を変え責めてくる。 たかじろうはこれを”我田引水方式”と呼んでいる。(案外地味なネーミングである)だから、 泊まろうとする地区の悪口(あの通りのほとんどはジャンキーだから外国人はやめた ほうが身のためだ、など)やひどいのになると宿の経営者の人格攻撃まで始めるヤツもいる。
この地が始めてだとみるとトンデモない額(高々60Rs程度距離を 200Rs)を吹っ掛けてくる奴もいるが予め相場を聞いていたのでそんな奴等は 相手にしない。朝っぱらからこんな奴等と渡り合わねばならない身の不幸を嘆き、 別のドライバーとの交渉に移る。車両はボロでも(実際ボロしか見たことない) 気持ち良く乗りたいじゃあないですか。しかし、それらのボロ車両は車内が異常に 臭くまた別の意味で不愉快になってしまう。その手の話は”ベトナム犬の苦悩”に 詳しいので是非参照されたい。(近日出来)

メーター車で55Rs、時間にして10分で目指すムーンライトリゾートへ到着。
無事にディーパックと再会できた。開口一番なにその格好と訝られたけど無理もない。
赤いソックスに踵が擦り切れたぺらぺらのゴムサンダル。肝心の山靴は振り分けにして 担いでいる。ネパールガンジでの経緯を話すと、”何しに行ってたの?”と呆れてた。
もっとも、ネパール人の友人に会いに行くとだけしか話してなかったもんなぁ。

山に入る前にまず朝飯を食い、それから山道具屋へ行きダウン・ジャケットを借りる。
そうだ、山靴の塩梅はどうだ? 新聞紙を全部掻き出す。昨夜、夜食休憩時に 新聞紙を詰め替えたのでかなり水分は捌けていると思うのだが・・・。
ちょっと湿ってるなぁと感じるけれどそれほど不快でもない。靴下がポリプロピレン(水分を 吸わない生地)なのが良かったのかも。

現在午前8時、リゾートの前でタクシーを拾いアンナプルナとりつきの村のひとつ であるビレタンティ(Birethanti)へ。 最近開通した、ポカラからずっと西へ伸びるこの道路により従来の入山地点より ずっと奥まで自動車で入ることが可能になった。街から20分、山の稜線全体が見渡せる。 東から(即ち右側、たかじろうは西に向かっているのだ)ラムジャン・ヒマール、 アンナプルナII、アンナプルナIV、マチャプチャレ、ヒンチュリ、アンナプルナ・サウス。 絵葉書の写真と同じだぁ。当然のことに、敢えて納得するほど動揺している(みたい)。 ナヤプール(Nayapul)という村でタクシーを降りる。現在9時30分。
ここから15分でモディー川(Modi Khola)を渡り山の入り口である村 ビレタンティに出る。ここには山岳警備隊(警察)のチェック・ポイントがある。
ここで、入山日と予定ルート、下山予定日を申告する。下山予定日をすぎて消息が 掴めないと晴れて遭難扱いとなる。実際には資格をもつトレッキング・ガイドの 口コミによる情報により、例え単独だとしても何処かで目撃情報が伝わるように なっていみたい。山ですれ違うパーティのガイド同士やポーターには顔見知りが 多く奥深い小屋での出来事も一昼夜のうちに麓まで知れ渡る。電話はおろか電気 もない(乾電池によるラジオはあるようだ)のでやはり人を媒介とするしかない はずなのだが。

ところでたかじろうは、以前記したようにアンナプルナB.C.を目指している。 今日が12月30日(火)なのだが1月4日(日)までにはカトマンズへ戻らねば ならないとすると1月3日(土)に山を下りてポカラまで帰ってくる必要がある。
と、いうことは5日間(4泊)しかない。カトマンズを発つのが5日(月)の 昼過ぎなので4日のナイト・バスでポカラからカトマンズへ戻るとすると、 もう1日山にとどまることができるけどやはりポカラでロキシー(ネパールの 地酒、米で作られた焼酎のよう)でもやりながら一晩明かすのも捨て難い。
何れにしても5日でA.B.C.往復はかなり困難なようである。ガイドである ディーパックは、この時点ではこの計画が完遂されようとは思ってもみなかったと 後に語ったほどであった。もちろんディーパックにはオプションとして別のルート も用意してある。初日のたかじろうの様子次第では、計画の変更も有り得ると (当然であるが)踏んでいたらしい。
そういう事情だからディーパックは初日から凄まじいピッチで先導する。
この初日のトレイルの前半はほとんど辛い登りはない。モディー川沿いの田んぼの 畦道をワシワシ歩く。しかし・・・早い。前を行くディーパックが見てないとみると ついこそこそ小走りになる。とにかく今日はチョムロン村に到着しなくてはならない。 それができないということはA.B.C.に行けなくなる。ナヤプールからチョムロン までは基準歩行時間で8時間となっているそうだ。これに休憩、昼食を入れると どうしても10時間近くなる。さらに最後に険しい谷からの登りがあるため1日で カバーできない。早朝出発(たとえば7時)できれば、やってできないことはない かもしれない。

 天気がよいし陽も高くなって気温が上がってきた。たいへん暑く、早くも汗が吹き 出てくる。ビレタンティからサウティ・バザール村まで1時間、ここで休憩。ネパール (いやチベット)茶を飲む。チベット紅茶を牛乳(若しくはヤクの乳)と砂糖で沸かした やつ。日頃はこういう甘い茶は敬遠するところだがたいへんうまかった。こういう 甘いのをガブガブ飲む。やっぱり疲れてるのかなぁ。このあたりは山の入り口で 登山客や下山してくるパーティーが多く賑やかだ。

 ディーパックはたかじろうの体力を試しているかのように(やっぱり試している) ハイピッチで歩く。とにかく、ついて行くしかない。
 ここから、キューミーを経てニュー・ブリッジを到着する。現在午後2時。 もう、汗が滴る。気温が高く、着ている衣服が全て汗にまみれている。あっ、そういえば もう2日歯を磨いていない。ナイト・バスが2日続いたもんなぁ。ガシガシ歯を磨いたら なんだか少しだけ元気になった(ような気がする)。ここからは、深い谷を下り 目前に聳える急な斜面を登らねばならない。この登りは辛かった。目指すチョムロンは 標高1800mなのでこのあたりはそれより低い。南側斜面を登っているので 背後から陽を浴びる。歩きながら水分補給をするのだが飲んだそばから汗となって 吹き出てくる。 そういえばカトマンズを出て2日間、酒を飲んでいない。ナイト・バスばかりだし昼間もそんな余裕はなかったからなぁ。
そのせいか、なんだか体中の水分が入れ替わったようで体が軽くなってきた。 でも少し頭がクラクラするの軽い脱水症状だな・・・、また水を飲む。
 とにかく、今回の計画で一番辛いのがこの初日である。 距離もあるし、最後の最後に急な登りがある。ニュー・ブリッジから2時間。 午後4時30分にチョムロン村に到着。インター・ナショナルという山小屋である。 部屋はそんなに立派でないけれど食事がたいへん良いらしい。この村では有名なインドラちゃんという娘っ子(なにが 有名って、彼女は何カ国語が喋れるのだろう。
だだし全ていい加減である。つまらん単語を良く知っている)が迎えてくれる。
”トモダチー、ヨクキタネー!”ときたもんだ。

 目の前に左からサウス、ヒンチュリ、谷を挟んでマチャプチャレが見える。 ビレタンティにいたときはあんなに小さく見えていたのがこんなに近づいている。
翌朝はそれらの山々に最初に朝日があたりたいへんきれいだそうだ。何時におきればいいのかなぁ。

 2日間、歯を磨いてなかったのと同様、風呂に入ってなかった。今日これだけ 汗をかいたものだから何とか風呂を浴びたい。山小屋とはいえシャワーはある。
もちろん、水。とにかくシャワーを浴びないことにはビールを飲む気も起きない。 水は冷たい。それはまだ我慢できるとして石鹸が泡だたない、シャンプーも泡だたない。

うーん、以前タイに行ったとき現地調達した石鹸の泡立ちの良さ(水シャワーで あるにもかかわらず)に驚いたことを思い出す。
ニッポンの石鹸の泡立ちの良さとその繊細さは有名だがあれはお湯を前提としているのではないか。 やはり石鹸は現地調達にかぎるのか。 日暮れ時になって急激に気温が下がる。ビールなんぞ のんでいる場合ではなさそうであるがやっぱり飲んでしまった。 3日ぶりのビールはよく冷えていて旨かった。


(8)入山初日の真夜中
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