(5)ネパールガンジ
12月29日(月)
ギタの住むバギア村へ・・・
さあ、とにかく電話はできた。(肝心なおみやげの話はすっかり忘れていたが)
NGO事務所訪問の時間まで1時間程度あるので、この電報電話局までバイクで
連れてきてくれた兄ちゃんとチャーを飲みに行った。
聞けば、このお兄ちゃんはネパール銀行ネパールガンジ支店に勤めるサラリーマンであった。
そういえばタイ、フィリピン、ベトナム、インドネシアの(手紙のやりとりをする)ともだ
ちの中で勤め人(サラリーマン)は初めてだ。
(ベトナムにフランシスという友人がいるが時々出勤している彼、果して本当に働いているのか非常に怪しい。)
夕方、”仕事終えたら晩飯奢るからこのレストランへ来いよ”と誘ってもらったの
だけど、夕方はまたナイトバスでポカラへ移動しなければならない。
有り難いけどポカラで友人(登山ガイド)と待ち合わせしてるからと丁重にお断りしてアドレスの交換をした。
自慢のバイクと一緒の写真も撮ったので早く送ってあげなくては・・・。
(まだ、スライドのままなのだ)
そして、NGO事務所まで送ってもらって別れた。(所用時間5分)
うーん、できればこの街にせめて一泊してヤツと飲みに行きたかったなぁ。
本来は帰りの飛行機さえ逃さなければ何でもありが基本スタンスなのに今回はカトマン
ズで登山ガイドの手配をしてしまったばっかりにこんなはめになってしまった。
このネパールガンジのように英語が通じにくい街は、ともすると不便は思いばかり
のような印象をうけるけど、どこにも善良でお節介な人がいるものでしばしばその様な
人たちのお世話にことがある。
タイ北部の街でカメラが冠水して途方に暮れた時や、
ベトナム辺境の街で乾電池を探し求めてさまよった時、深夜に突如として外貨両替
しなくてはならない羽目に陥ったときなどなど。
なかなかどうして世の中よくできているものである。
でも中にはそれに付込む悪い奴等も必ずいるはずで、たかじろうは
たまたまついていただけなので盲目的に真似しないでね。
いずれにしてもそういう経験はけっこう密かなタカラモノだったりする。
朝9時、NGO事務所で現地スタッフとの面会だ。
所長のユーパンさん(ちっちゃな小錦がヒンドゥー帽を被ったようなおじさん)
とコーディネータのヤタオさん(女性)、担当のラジェンドラ・チャウダリ君が出てきた。
ユーバン所長曰く、”遠いとこから良く来てくれました。
ところでカトマンズからどうやってきたの?”と訪ねるものだから”ナイトバス”と言うと、
”よくあんなので来れたなぁ”と皆で驚くことしきり。
よっぽど無謀なのか?聞くところでは車内で盗みを働くヤツがいたり物騒らしい。
しかしユーバンさんの体格ではきっとナイトバスなんぞには乗ったことないのだろう。
さらにユーバンさん、”君がここに来るのは1月1日って連絡受けてたけど・・・”なんて言ってる。
なんでも今日はネパール国王マヘンドラさんの誕生日で祭日なので
たかじろうをバギア村まで乗せてく車がないなどと言い出した。
さっきユーバンさんが日本製RVで御出勤するのを見たゾ! その車をよこせと行ったら”あれ、ワシの
じゃけん、だめ!”なんて言ってる。
じゃあどうすればよいのだっ。しばしの沈黙のあとユーバンさん、”自転車なら2台あるけど・・・”。
予め東京の事務所がくれた資料に確かここから車で30キロ、川を渡りさらに歩いて1時間だと
書いてあったような気がするけど。
ラジェンドラが自転車で3時間、バイクで1時間半だと口を挟む。
”ところで、あんたバイク乗れる?”とユーバンさん。
運転できるけど国際免許ないし道知らないなどと渋るたかじろう。だんだん怪しい
様相を呈してきた。
”うんうん、問題ないねぇ。あんたバイクでいってくれば?
ラジェンドラが道知ってるし。ここから先、交通警官なんていないから。”なんて
言い出した。
なあにバイクで往復3時間、現地に2時間滞在しても夕方4時の
ポカラ行きバスに乗れるから、なんてこの話に一方的にケリをつけたユーバンさん。
”それじゃぁ、善は急げ(と言ったのかどうかは不明だが),バイクを用意させよう。”
と、ひとり張り切っている。バックパックを事務所に預け、バスの切符を買って
おいてもらうためにヤタオさんにお金を渡した。
さてさて納屋から出てきたバイク。ホンダの100cc(郵便局員の乗ってる
ようなヤツでいわゆる実用車)、エンジンはすぐかかったけれどちょっと前ブレーキ
が甘い。警笛も鳴るしウインカー(多分必要ないと思った、実際必要なかったけど)も動作する。
”まぁこんなもんか、ところでラジェンドラのバイクは?、えっ!これ1台っきり?”
ユーバンさんたらあっさり言いよった。
”大丈夫、大丈夫、問題ないね。道は後ろのラジェンドラが指示するから
あんたはそのとおりに運転すりゃいいのだよ。”
さすがのたかじろもキレた。
”なーにゆーとんか、コラ! 黙って聞いとりゃ調子んのりやがってー!RVで
1時間かかる道こんなとっつぁんバイクで1時間半で走れるわけなかろーもんが。
おまけに2人のりやゾ!(さらに無免許) エエかげんにせーっ!”
とひとしきり日本語で悪態ついた。
しかし、それしか方法はないのである。ここまで来てギタに逢わずに素通りはできない・・・。
カメラと換えレンズを入れた袋をラジェンドラに担がせて事務所を出発したのが
10時前、一旦国道に出てガソリンを買う。
予想どおり舗装された道はここだけ。村々を結ぶ赤土の道を南へ走る。
今は乾季だから走行可能だが雨季にはこのバイクでは無理だ。道の両側は田んぼで、
文字どおり山のような薪を頭上に乗せて集落まで売りに行く人たちの列が続く。
この時期、仕事の少ない農村は森を伐採して薪を売り現金収入を得ているそうだ。
でも、それが農地をさらに荒れさせてゆく。
30分ほど走った。まだ歩行者がいても対向車(牛力牽引荷車やバイク)が
きてもまだすれ違う余裕はあるほどの道。まだまだ南へ走る。
それにしても牛が多い。だんだん道幅が狭くなって牛が邪魔になる。
思うようにスピードが出せない。
1時間ほど走ると川に出た。”これが例の川?”とラジェンドラに尋ねたら、
”我々はあとふたつの川をわたらねばなりません。”と教科書英語が返ってきた。
広い川だが水深が浅くきちんとルートをとればバイクに乗ったまま渡ることができる。
ラジェンドラがバイクを降り靴を脱いで安全なルートに誘導する。たかじろうは
バイクでトロトロついて行く。やっと渡ってみたものの一難去ってまた一難。
川の向こうは砂地がずーっと向こうの土手まで続いている。
タイヤが埋没するためふたり乗りでは無理だ。
また、ラジェンドラは歩く。いや、バイクにそって走る。
ふたつ目の川、また砂地。時計を見るともう2時間近く経過している。どんな走り方
したら1時間半で着くのだ、まったく・・・。
みっつ目の川は幅は一番狭いのだけど深くてバイクでは渡れないので渡し船を使う。
向こうから牛10頭を連れた農夫が渡ろうとしている。
牛がおとなしく船に乗らないものだから時間がかかる。
あー腹減った。そういえば水しか持ってきていない。
こんなに遠いなんて思ってなかったもんなぁ。
やっと川を渡りふたり乗りでさらに南へ走る。あっ、集落が見えた! あれか?
ラジェンドラはかぶりを振る。バタバタバタ・・・(エンジン音)
それにしても暑い。夜はあんなに寒かったのに。Tシャツ1枚になってまだまだ南下。
あっ、また村だ! 今度こそあれか?などと空しいやりとり3回の末、ラジェンドラ
が指差す。あの村だ!田んぼの遥か彼方、樹木が陽炎に揺れる。
やっと着いた。まず、バギア村の出先事務所へ。このとき出発して2時間半が
過ぎていた。この時点で4時のバスには乗れないと覚悟。一応、ラジェンドラに
”どんな計算しとんのか。これのどこが1時間半じゃーっつ!”と文句垂れると
”大丈夫、6時のバスがあるから”。また、”大丈夫”か・・・彼らの大丈夫は
ちっとも信用できん。確かにヤタオさんは4時のが最後だって言ってたけど・・・。
まぁ、仕方がないなぁ。
事務所での歓迎の儀式もそこそこに早くギタに逢いたいと告げ、集落まで歩く。
これが20分、共有エリアに通される。公民館とその公園みたいなところみたい。
野外にはこどもが筵の上に並んで座っていた。保育園の様な機能を果たしているらしい。
いきなり胸の前で手を合わせて”ナマステー”の大合唱に迎えられた。
肝心のギタがいない。ここからまだ遠いのか?
いま、村のコーディネータが迎えにいっている
とのこと。そのあいだ村長さん、長老、青年部長の順で挨拶の儀。とにかくこども達と
写真が撮りたいのでこども達の間にはいる。泣く泣く、喚く喚くでもうたいへん。
ラジェンドラによるとこの村でNGOによる支援が始まって2年。そのあいだ訪ねて
きたフォスターペアレント(支援者)はたかじろうで3人目。
今年(1997年)でふたり目。もちろん、日本人では初めてであった。
だから、この歓待劇になったのか。この広場に集まっているこども達およそ30人はほとんどフォスター・チャイルド
(被援助対象)になっているそうだ。
近隣の村で合計250人のこども達がいるらしい。
そういえば、ラジェンドラに確認してみたのだけれど、今日は王様の誕生日だから
自動車がなかったのかというたかじろうの問いに”うちの事務所には公用車がない”とのこと。
なぁんだ、結局この村まで自分で行くしなかったのね。ギタを待つあいだ
公民館のような茅葺きの小屋に案内された。その中ではこども達のお母さん連中が
集まって保健夫の講義を受けていた。
生活用水やトイレなどの公衆衛生問題やたのしい、いや、もとい・・・
ただしい家族計画についての啓蒙活動を行ってた。
あっ、母親に抱かれたギタがやってきた。最近おなかをこわしていて体調が悪いらしい。
あとから父親もやってきた。感激のごたーいめーんっ!ってとこだが抱き上げると泣いてしまう。
うーむ、たかじろう前途多難。もちろん、こども達の前ではいつものレイバンはしてないのに・・・。
両親は英語ができないの(というよりたかじろうが英語でしか会話できあにから)でラジェンドラを通訳として昼食を供にした。
もともとこのネパールガンジはインド独立まではインド領であったそうだ。
インド独立(1947年)のとき、ネパール領であったダージリンとネパールガンジを交換したそうだ。
だから、このあたりはもろインドっぽい。言葉もネパール語よりヒンドゥー語が
ポピュラーだと。村の南に見える山はインドとの国境をなしている。
村の中に警察の駐在所があるのもインドから越境山賊への対策だとラジェンドラは言っていた。
とにかく、ギタにも逢えたしギタの両親も喜んで貰えたし、ここまでやってきた
甲斐があったってーもんだ。現地事務所では泊まってけとさんざん誘われたけれど
もったいないけど断念。もともと、現地の様子がちっともわからなかったから
村まで行ければ御の字だと思ってた。
後ろ髪を引かれつつバギア村を後にする。
現在2時30分、同じ道を辿って戻る。川を渡る。もひとつ渡った。
最後のひとつ。ここまで来るともうヘトヘト。
肩は凝るし、暑いし、だんだん眠くなってきた。そうとう疲れてるみたい。
最後の川だ。往路では川幅はあるものの水深が浅いので後部座席のラジェンドラの指示に従いバイクを走らせる。
あんまり速度を上げると水しぶきがあがるので
低速、低速、さすがに午後3時すぎると逆光気味で川面が見づらい。
あれ、前方の水面の色が違う・・・ような・・気が、あーっ! たかじろうはバイクごと
川に腰まではまってしまった。
身体は浸かってもたかじろうのカメラ袋を高く掲げた姿のラジェンドラは逆光に映えてカッコ良かった。
たかじろうは山靴が水没。
まあ、不幸中の幸いなのか・・・、街の事務所まであとすこしだったのに・・・。
たかじろう呆然。しばらく動けなかった。
がんばれ、たかじろう。
ふらふらで街の事務所に戻ったのは午後5時過ぎであった。
あーっ、肩が凝ってる。腕が痛い。ケツも痛い。
(6)いざ、ポカラへ