(1)たかじろう西へ行く

12月26日(金)

タイへの道

 朝8時・・・うーん、まだ眠い、なんていってられない今日26日は出発当日なのである。
まだカメラとレンズを詰めてない。おっとその前にフィルムを詰めねば・・・。

いつものことながら、なぜ、いつも直前になってこうバタバタするのか。
パッキングぐらい2,3日前から少しづつやればできるのに。 もっとも少しずつやりゃできることは1回でドカンと終わらしちまおうという 意識が働いたとしても誰に責めを負うものでもありますまい。
いつもこうだから(人は学習効果のないヤツと言いますがそこのあなたにも 覚えがあるでしょう)というよりだんだん酷くなるような気がする。
どう表現すればよいのか、限界を試すようなあのハラハラドキドキを無意識の うちに求めているのかも知れない。
ほら、よくあるやん。膝や肘のカサブタを止せばいいのに無理して剥ごうと試みて 結局大出血の憂き目にあった経験。
そんな経験を無意識のうちにもとめているのか、たじろうってば。

東京駅でエアポート成田号をホームの最前列でビール呑みつつ待っていたと きとなんぞ右隣で並んでたおばちゃん言いよった。

“ちょっと荷物見といてんか?”

“ドゾ・・・“

2,3分のうちに戻ってきたおばちゃんキオスクで週間朝日を買ってきたらしい。
そいで、“はいおみやげ、ビール呑んでるから”と言ってカキピーを一袋手渡してくれた。
あぁ、なんてキュートはおばちゃんなの。まだまだこのニッポン、棄てたもんじゃないなぁ。

成田空港では怠惰な時間を費やしつつ出発時刻を待つ。
なんだかいつもと違う。旅を目前にした、いや既にその旅は始まっているはずなのだが・・・。
いつもの高揚感がやってこない。なんだか集中力を欠き非常に危険な状態である。
いや、もう既に搭乗券を持ち出国手続きを終えた我が身になにが必要なものかっ!
 今にして思えば昨年5月末、タイからビルマへ渡ったときと同じ様な心持ちであった。

そこではバンコクからチェンラーイへのバスで野球帽を奪われ、ビルマ国境の 街メーイサーイではニコンFEをレンズ2本もろとも河に転落させるというチョンボをやらかしている。
あぁ、あのときの精神状態とおんなじだぁ・・・、旅立つ前からたかじろう危うし。 往くての波乱を暗示している様な気配。そういえば頭のてっぺんの毛がビビッと立っていたのは寝癖の せいではなかったのかも知れない。
このときたかじろうはニコンFE2と3本のレンズは無事とはいえネパール西部の 街ネパールガンジ南部で泥川にはまる羽目になるとは知る由もない。

結局、その胸騒ぎのせいでバンコクまでのタイ王国航空機ではたったのビール3本と ワイン2杯、スコッチミニボトルロックで2本しか呑めず熟睡してしまった。

 バンゴクは暑い、東京から来たナリではたいへん場違いである。
到着は現地時間で11:00PM過ぎ。翌朝10時30分発のカトマンズ行きまでほぼ半日。 成田を発つまでは空港で夜明かししようかとも考えていたのだけれど暑さ のせいか機内で熟睡したにもかかわらずやたらと眠い。

そこで空港そばの(いつもの)ノイさんちのG.H.(ゲストハウス)に泊まろうと電話をした。
ドン・ムアン空港ではバンコク市内にはタダでかけられる電話機が設置されてある。
テレフォンカード電話機の多い国なのでたいへん助かる。 カードは安いのでも500バーツ(現在10ドル強)なので買ってしまってもとても使い切れない。
もちろんコイン式もあるにはあるのだけど。

道々セブンイレブンで手帳(旅日記)とビール、屋台で肉団子や焼き鳥の串焼きを入手し宿へ。
たっぷり汗をかいていたにもかかわらずビールを呑みつつ日記をつけているとモノの5 分で寝てしまった。
かくして旅の初日、バンコクの陽は暮れるのであった。
(いや、バンコクに到着した時点で既に暮れていた筈だ)

ちなみにノイさんちのG.H.はひと部屋250B(バーツ)、600円というとことろか。
うーん、かなり高めだがダウンタウンに行くのに往復タクシー を使うことを考えると断然有利、朝はゆっくりできるし・・・。

なによりダウンタウンに行くとパッポン・ストリート(言わずと知れたおねネ エちゃんウジャウジャ、ちよちゃんウハウハのアジアを代表する歓楽街。
そこにはまって身ぐるみ剥がされたひとは陥落街と呼ぶ。
決してたかじろうのことではではありません)の誘惑もあるのでなにより 安上がりなのだぁ!(と、思わず力が入るたかじろうであった)

(2) さらに西へ・・・

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