三日目

朝、トイレで目が覚める。テントの外に出てみると、まだだれも起きていない。
周りのサイトにもキャンプ場全体で数人がごそごそ何かしている程度だった。近 くに時計がなかったので、何時かわからなかったが、周りはかなり明るかったの で、日出早々と言った感じだった。トイレを済ませ、サイトに戻って椅子に座ってみる。
特にやることはない、昨日は起きるのビリだったので、このまま起きていようか と思ったが、まだ日が昇って間もないのか、とても寒いので、やっぱりテントに 戻りシュラフに包まってみる。このまま少し待てはみんな起きてくるだろうと思 ったが、やはり体が温まると寝てしまったらしい。
次に目が覚めたのは、また、暑さのためである。西湖の昼間は暑い!
目が覚めた私は、シュラを抜け出しテントを抜け出ると案の定、 みんなは起きていて朝食の支度をしていた。
しかも、シュラフが干してある。私も慌てて干そうとしたが、場所がないので裏 返しにしてテントの上に放り投げておいた。
朝食 朝食の準備が出来る。仕方なく今回もごちそうになることにする。 朝食はコーンポタージュとトースト、スクランブルエッグだった。
少しゆっくりすると、さっそく片付けが待っている、しかも今日は帰る日なので、 朝食の片付け組みとテントやタープの片づけ組みに別れ、一気に片づけてしまう ことになった。さすが、これだけの人数が居ると早いもんである。 あっという間に、元の草原に戻ってしまった。
後片付け1 後片付け2 後片付け3

片づけていて思ったんだが、今回も?アルコールの量は半端ではなかった。 確かに人数も居るので仕方ないことだと思うが、350の ビール3ケース(72本)、500のビール12本、日本酒2升と小ビン (720?)2本、ワイン3本、ターキー1本で、あまったのはビールが少し と、日本酒がちょっと、後ターキーが半分ぐらい余っていたかなと言うくらいで ある。
僕があまり飲むほうではないせいもあるのかもしれないが、すごい量だと思った。
行きに私のクーラーには、ビール500を含む36本と1升ビンが1本は行って いた、しかもそれのみである。自分で前の晩に詰めていて、ちょっと恐かった。 結局みんなでいろいろ持ちよったので、それだけの量になった。しかもほとんど なくなったと言うのもすごいと思う。三日間アルコール漬けである。しかし、さ すがに最後の方になると、みんなのペースが落ちていったのは、気のせいでないようだ。

荷物をそれぞれの車に詰め込み、帰りの車の分担を決めていたら、佐々木さんは てっちゃんの車の方がいいだろうということになった。実はMTBがあるので、 ほかの車には乗らないだろうと思っていたが、帰る際にその方が楽ということで、 私の車からMTBを降ろし、てっちゃんの車に乗せてみるちょっと入り口が狭いものの 中はけっこう余裕があって、スッポリ入ってしまった。ちなみに、私はラルゴでてっちゃんは トーラスワゴンである。これでファンキーはベーカー、てっちゃんは佐々木さん、 キムチはあさちゃん、そして私がガエちゃんと直チャンを乗せていくことになった。
最後に全員で記念写真、二人ほど途中で帰ってしまったので全員ではないのが残念だが、 がみんなで集まって西湖の自然と車をバックにカシャ!

記念写真

精算する場所を決めそこで待ち合わせすることにして、西湖を出発する。途中若 干の渋滞にみまわれるが、順調に待ち合わせ場所に到着、昼食を取り、精算をし て、今回来れなかった人に頼まれていた、ダイビングの200本記念フラッグに みんなで寄せ書きをして、そこで解散することになった。
寄せ書き 解散してからも東名高速は多少渋滞もあったが、休みの日にしては順調に進み、 家が近いということで、女性を二人も乗せることが出来、両手に花といった感じ である。途中ガエちゃんが眠そうなのに無理矢理起きているようなので、寝ても いいよと言ってあげたら、ほんとに寝てしまった。ほんとに疲れていたのだろう。
高速を降りて、多少?道を間違えてしまったが、無事二人を送り届けて、家に帰った。
今回は何事もなく、無事終了した。これで「新島問題研究会」の屈辱は晴らせた のだろうか?今回は嵐を呼ぶ男&女と噂される人が不参加であったため、 しかもそのうちの強者3名は今ベトナム難民になるべく研修中である。これでは、 完全ではないと思う。おそらく「秋の陣」も開かれるであろう、その時には全員そろって、 新島の屈辱を晴らしたいと思う。

1997/7/19-21・西湖



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