5日:そして出発・・・。
2000.11.5
一昨日、結婚式を終え、今は飛行機の中に居る。
到着地はヒューストン、約12時間ものフライトだ。
そこからエクアドルの首都であるキト(QUITO)へ向かう。
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この旅行が決まるまでもいろいろあった。
結婚式の準備をしながら新婚旅行の場所を決めるために、いろいろと考えていた。
どうせ行くなら、長期休暇が取れないと行けないような所に行こうと言うことになった。
そこでガラパゴスが候補に上がったのである。
しかし、僕はパラオの時の恐怖がある。SUNは旅費がかかるので倦厭していた。
何せ、一昔前は一人100万円と言われていたところである。
このままどこへも行かなくなってしまって近所で済ますなんてことは
したくないとは思いつつ、二人とも倦厭していていたので、日はどんどん進み、
予約の締め切り日の営業時間も過ぎてしまった。
その時職場から電話で「間に合わなかったね」と電話をしていたのだった。
その後僕は、だめ元で連絡を入れてみた。これでだめなら本当にあきらめようと、
しかし、旅行会社から連絡があったのだ、何とかしましょうと(旅行会社の方は商売なんだから
それぐらい何とかするのがあたりまえだと思うが・・・。)
この段階で、入金した途端に100%のキャンセル料がかかるのである。
こうして二人の新婚旅行はダーウィンの進化論の元になった地「ガラパゴス」決まったのである。
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18:37:33000feet(10058m)上空を1040Kmで飛行中、もうすぐ
日付変更線を通過する。
到着の1時間ほど前に夕食が配られた、フライト中は飲んだり食べたり、
後は寝てるだけだ、後から考えるとすごいことだと思う。
フォアグラでも作ろうというのか・・・。
ようやくヒューストン(HOUSTON)に到着。
飛行機を降りると、すぐに人の渋滞になり、なかなか流れていかない。
いったいなんで、こんなに渋滞を起こしているのか?
しばらく進むとようやくその理由が明らかになった。
出国手続きが遅いのである。
結局VISITER以外の列もVISITERに開放して対処していた。
そして、ようやく私の番である。僕は、パラオに行った時のことを思い出す。
あれからちょっと、英語恐怖症になっていた。
「どこに行くのか?」といっているらしい、「エクアドル」と言ってみたが通じなかったようだ。
ここは特に一人ずつと言うわけではなく、1家族や1カップル事に行っていたので、
僕が上手く通じないのを見てSUNも寄ってきた。
SUNも同じく「エクアドル」と言ってみるがやっぱり通じず、
「キト」と言ってみると、ようやく理解してくれたらしく、あ〜っ
「エクアドル」ね〜、という感じになった。
ふぅ〜、なんとか通過できた。今回は手荷物のみなので、そのまま
荷物の受取所を抜け、乗り換えを目指して進んで行くと外人さんが
(向こうから見れば僕らが外人だが・・・)なにやら言っているが、
まったく理解できない。向こうの人も困ったらしく、あっちに別の言葉の
スタッフがいるからそっちで聞いてと言われてしまう。
しかたなく入っていくと、荷物の預け所のようだ。
どうやら、手荷物ならそこを出て、左に行けと言っていたのではないかと推測する。
出口を出て左に曲がるとコンチネンタルのカウンターがあったのでキト行きのゲート番号
と時間を確認する。
2階のC−19番だと言うので2階に行こうとすると、その入り口に手荷物検査と金属探知機
のゲートがある。SUNの荷物はなんでもなかったのだが、僕の荷物は二度赤外線
の器械を通されたあと、別のカウンターに運ばれて中身をチェックされてしまった。
その結果なんでもなかったのだが、僕はそんなに挙動不審なんだろうか?
それとも、ハウジングという鉄の塊が入っていたので、荷物の割に重いのが怪しかったのだろうか?
2階に上がって一休みする。
お店がいくつかあったが、さっき機内で夕食を食べたばかり、僕の好きなジェリービーンズは日本
のものよりも丸い感じがした。それに巨大なビーンズもあったのには驚いた。
席について、ふと現地の時計を見ると、13時35分ごろ、成田の駅に着いたのが13時40分
ごろ、ということは、今ちょうど成田に着いたころの時間だ、なんとも日付変更線とは不思議なものだ。
掲示板にはキト行きの表示は、まだされていないようなので、コンチネンタルのサービスカウンタ
の人に聞いて(もちろんジェスチャー)この先だと言うので先に進む。
しばらく行って、右に折れさらに奥に進む。かなりの距離だ。
まだ、前の便の受付をしているようなので、しばらく待つことにする。
受付が始まった、僕達も列に並ぶ、スパニッシュ系のきれいな女性だった。
そのまま左側が搭乗口になっていて、搭乗が始まっているようなので、
僕らも一緒に入ろうとしたが、チケットを見せる所まで来て、だめだと言われてしまった。
おそらく、ファーストクラスとか何か、順番があるのだろう。
(何を言っているかわからないので、かってに想像する)僕らの後にも何人か止められていた。
その人たちも入っていったので、そろそろかと、僕達も列の後ろに並ぶ。
ドキドキしながらチケットを見せるとすんなり入ることができた。
搭乗口を飛行機の入り口に向かって歩いていくと、係りのおばさん(?)が前を歩いていたSUN
を呼び止め、なにやら話し掛けている、荷物が大きすぎるから機内預けにしなくてはならないらしい。
と言うことは、それよりも一回り大きな僕のバックは絶対にだめと言うことになる。
あわてて、僕は取り外し式のナップザックをはずす。案の定僕の荷物も機内預けになってしまった。
機内に入るとその理由がわかった。とても狭いのである。僕らは結構後の方に乗り込んだので
先に入った人で荷物を入れるところはいっぱいで、あの荷物を入れることは不可能だっただろう。
まもなく飛行機は離陸する。今回は窓際でなかったせいか、眠くてうとうとしていたら、
いつのまにか離陸していた。
そして、この後二人はすっかり寝てしまったらしい。
しばらくして目を覚ます。ちょうど食事を配っている所のようだ。
食事の後ふと考える。今日は11月5日の夜だから、これは本日2回目の夕食と言うことになる。
その後、一番窓側に座っていた女性の方にエクアドルの出入国カードと税関申告書を渡される。
僕らが寝ている間に配られたのを預かっていてくれたらしい。その用紙を見ると何が書いてあるか
さっぱりわからない。でも大丈夫、旅行会社からもらったしおりに書き方の見本が載っているので
それを見れば大丈夫だ。アメリカ合衆国の時もこのしおりをほとんど写すだけで大丈夫だった。
しかし、しおりを見ると出入国カードは載っているのだが、関税申告書の方が載っていない。
とりあえず、出入国カードを書いてしまい、それと同じ項目を写せばいいと思ったが、
名前以外まったく分からなかった。
持っていた辞書で調べてみたが、まったくヒントが掴めず困っていると、
先ほどの窓側の女性が声をかけてくれた。その人も英語が苦手なのか
日本人にも分かるように説明するのに困っていたが、一生懸命教えてくれた。
本当ありがたいことだ。
ふと気が付くと、枕が通路に落ちていた。後ろからトイレを済ましてきたのだろう、おじさんが、
その枕を拾い、僕に向かっておまえのか?と言う目で枕を差し出してくるので、僕のはここにある
と腰に当てていたのを見せると、周りを見回して、誰のものか分からないと、またポイと捨ててしまった。
機内で映画「パーフェクトストーム」をやっていたが英語のためよく分からず・・・。
キトに着いて入国審査を受ける。日本人は珍しいのか「あ〜日本から来たか」
というような表情をしていた。
外に出ると地元のメトロポリタンツーリストの人が名前の書いたプレートを持って待っていた。
ホテルまでの車の中でその男性は日本語交じりで案内してくれたが、日本語以外の所はほとんど理解
できなかった。
ここキトは標高が2800mあり、普通に歩いているだけでも息が切れるほど、
ボリビアのラパスにつぎ世界で2番目の標高の高い首都だそうです。
ホテル(HILTON COLON)に着いてチェックインを済ませ部屋に入る。今日は寝るだけだ。